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EQ(8)―古き良き時代

この本を取り上げた時に、この著者が日本人の精神も勉強していることに少し触れた。

でも、具体的に日本人について触れているのは2ページぐらいだ。
しかも1950年代。

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テリー・ドブソンは、1950年代に日本へ渡って
初めて合気道を学んだアメリカ人の1人だった。

ある日の午後、ドブソンが電車で東京郊外の家に帰る途中、
からだが大きくて、けんか早そうで、ベロベロに酔っぱらった汚い男が乗りこんできた。

千鳥足の男は、周囲の乗客を威嚇しはじめた。

大声で悪態をつきながら、男は赤ん坊を抱いた夫人をぶん殴った。
婦人はよろけて、近くにすわっていた老婦人の上に倒れかかった。
老婦人は飛び上がるように席を立ち、先を争って車輛の端へ逃げる乗客の群れに加わった。

酔っぱらいは何度かこぶしを振り回したあと(カッカしているので狙った相手に当たらない)、
車輛の中央に立っている金属の握り棒をつかみ、
大声でわめきながら棒をゆすってはずそうとしはじめた。


毎日8時間も合気道の練習をこなして体調万全だったテリーは、
「誰かがひどいけがをする前に自分が出ていってあの男を止めなければ」と思った。

しかしその時、合気道の先生の声が脳裏によみがえった。

「合気道は和をめざす。
争う心を抱いた者は、その時点で天地とのつながりを断ったことになる。
人を威圧せんとする者は、すでに敗れたに等しい。
合気道とは、争いを収める道。争いを起こす道ではない」

事実、合気道を始めるとき、テリーは決して人にけんかを売らないことと、
護身以外の目的で武術を使わないことを約束した。


しかし電車内の状況を見て、テリーは今こそ合気道の腕を現実に試すときが来たと思った。


そこで、乗客全員が凍りついたようにすわっている車内で、
テリーはわざとゆっくり立ち上がった。

テリーに気づいた酔っぱらいは
「なに、外人じゃねえか。きさま、日本の礼儀作法を教えてやる!」と大声をあげ、
テリーにむかって身構えた。


しかし酔っぱらいがとびかかろうとした瞬間、

「よう!」

と場ちがいに陽気な声が車内に響いた。


まるで突然親しい友達に出くわしたような上機嫌の声だった。

不意をつかれて酔っぱらいがふりかえると、
70代とおぼしき和服の小柄な日本人がすわっている。


老人は酔っぱらいにむかって嬉しそうにほほえみかけ、
快活な調子で「こっちへおいでなさい」と手招きした。

酔っぱらいは
「ばかやろう、お前と話すことなんかあるもんか」と、
けんか腰で近寄っていった。

テリーは、酔っぱらいが少しでも乱暴な真似をしたら殴り倒してやろうと身構えていた。


「おまえさん、何を飲んできたんだい?」老人は酔っぱらいを見つめて尋ねた。

「酒だよ。てめえに関係あるか、ってんだ」

「酒か。いいねえ。そりゃあ、いい…」
老人は温かい口調で応じた。


「いや、じつは私も酒には目がないほうでね。
毎晩うちのバアさんとふたりで―バアさんは76になるんだがね―
ちょいと燗をつけて庭で一杯やるんだよ。縁台に腰をかけてね…」

家の裏手にある柿の木のこと、庭の草木のこと、晩酌のこと―老人は話しつづけた。


老人の話に耳を傾けるうちに、酔っぱらいの表情がやわらいできた。

握りしめていた両のこぶしから力が抜けていく。

「ああ。柿はオレも好きだ…」
酔っぱらいの声が消え入るように小さくなった。

「そう」
老人の声は元気だ。


「お前さんにもよく出来た奥さんがおいでだろう?」

「それが死んじまってよ…」

泣きだした酔っぱらいは、悲しい身の上話を始めた。
妻をなくし、家をなくした。仕事もなくした。自分で自分が情けない、と。


ちょうどそこで、電車はテリーが降りる駅に着いた。

電車から降りる時、背後で
「ここへ来て、お前さんのつもる話を聞かせてもらおうじゃないか」という老人の声がした。

ふりかえると、酔っぱらいが電車のシートに長々と寝そべっていた。
老人の膝に頭を乗せて。
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著者は、
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怒りの頂点にある人間を静めるのは究極の社会的技術だろう。

怒りの制御や情動の伝染に関するデータから考えると、
怒っている人間に対処するにはまずその人の意識をそらし、
次にその人の気持や視点に共感し、
それからもっと生産的な気分になれる別の話題に関心を引きよせる、
という方法が有効ではないかと思う。

いわば情動の柔術のようなものだ。
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と述べ、EQが輝いた瞬間の例として老人と酔っぱらいのやり取りを紹介している。


初対面の赤の他人(しかも害を被る可能性もある危険人物)に対して、
ここまで腰を落ち着けて相手に向き合い、心の交流を持てる人は、
今も日本にいるんだろうか?
by swanote | 2005-01-19 03:33 | 読破口調
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