カテゴリ:反応( 69 )

笹緑茶CM

数年前だが、「笹緑茶」というドリンクのCMが好きだった。

ささりょくちゃ~♪

という歌でパンダが数頭、
お茶のペットボトルを持ちながら、あお向けに寝転がってごろごろしているCMだ。

のんびりしていて、癒された。
自分もパンダだったら、ごろごろする仲間に入れてもらいたいと思った。

それ以来パンダをみると、そのCMを思い出してしまう。

中国の野生パンダ、数年間で1.5倍に増加=新華社
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by swanote | 2005-01-21 02:27 | 反応

温暖化現象

偶然見つけたブログがある。
これは古い記事だったが面白かった。
「いんちき」心理学研究所
「二酸化炭素は悪の大魔王」という神話「二酸化炭素は悪の大魔王」という神話



ところで、小学生の時に、

「人間は、酸素を吸って二酸化炭素を吐き出します」

と習った。

そういう仕組みなのか~と思っただけで、
なぜだろう?と考えたことはなかった。


それから、

「植物は、水と二酸化炭素と日光によって酸素を作ります」

「植物は、日中に酸素を作り、夜は二酸化炭素を作ります」

ということも習った。

つまり、人間は生きる為に必要な酸素を生成できないけど、
植物は生きる為に必要な二酸化炭素を生成できる。


人間は、自然の雄大さや脅威を感じた時、己の小ささ・無力さを感じる。
人間は自然の恩恵によって生かされている。

地球を救え!とかいうのも、身のほどを知らない人間の傲慢でしかないのかもな。
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by swanote | 2005-01-20 00:36 | 反応

ゴンドラ乗り

数年前の2月くらいに、ヴェネチアを訪れたことがある。

寒かったけど、
仮面祭りの前々日で、それなりに観光客が多かった。

交通手段は、バスかタクシーだけど、
どちらも水上バスや水上タクシーを利用した。

夕方になると、夕日が水に照り映えてとてもきれいだった。

ゴンドラにも1回乗った。
ゴンドラが停泊しているところには、いかついおじさんやお兄さんが並んでいた。
彼らは、寒いなかで客を待つためか酒を飲んでいた。
値段交渉をしたら、酔っ払い兄さんが多少負けてくれた。

水の都ヴェネツィア 惑星配列と天気のせいで干上がる

水が干上がっちゃったら、あのおじさんたちは商売にならないね。
きっとやけ酒でも飲んでるんだろうな。
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by swanote | 2005-01-14 23:59 | 反応

地獄めぐり

冬こそ行きたい、おすすめ温泉!

大分県別府市の温泉めぐりは、確か「地獄めぐり」と言われていた気がする。
夏に行ったら地獄かもしれないが、冬に行ったら極楽だ。
行ってみたい。
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by swanote | 2005-01-13 23:59 | 反応

EQ(6)―「感情」がテーマの授業

今また興味をもって読み直している本がある。
『EQ こころの知能指数』(ダニエル・ゴールマン)という本だ。
1996年に日本語訳が出版されたが、現代の日本社会を考える時とても参考になる。

このニュースを見て、子どもの情動教育について書いてあるページを探した。
<きれる子>文科省が検討会を設置 科学的に情動解明へ


本の著者は、サンフランシスコにヌエバ学習センターで行なわれている、
「セルフ・サイエンス」という授業を紹介している。


セルフ・サイエンスの授業テーマは「感情」だ。


1960年代の「情動を教育に利用しよう」という考えと違い、
セルフ・サイエンスの狙いは、
「情動そのもの」を教育しようとするところにある。

これは、人生につまずいて「問題児」の烙印を押された子供に
補習的に情動教育をするのでなく、
「すべての児童に必要な技術・知識として情動教育をしていこう」という試みでもある。


つまり、情動を制御できないのは、
脳が制御のし方を学習していないからだと考えている。

脳は発達しつづけるから
学習によって情動を制御することが可能だと考えている。


しかし、情動の分野で技術を上達させていくことは非常に難しい。


なぜなら、情動の技術を身につけるべき場面では、
たいてい心が動揺していて、新しい行動パターンを学習できるような心理状態にないからだ。

心臓がドキドキして、手のひらが汗ばんで、
からだがブルブル震えそうな状態の時に、

相手の言うことをしっかり聴き、しかも自分自身をコントロールして
叫んだり、相手をなじったり、殻に閉じこもったりしないで
その場を切り抜けることを学ぶ必要がある。


その技術を身につけていない子どもが、
情動の制御ができない状態(=キレル)に陥り易いのは、むしろ当然だと考えられる。


情動を学習する場面では、教師・親・友人などの支援・指導が必要になる。



セルフ・サイエンスの授業では、

  一切の争いを避けることではなく、

  全面的なけんかに発展する前に

  意見や感情の行き違いを解決すること

が大切だと教える。


そのためには、

  一方的に攻撃したり、受身になったりしないで、

  自分の考えをきちんと主張する

という態度が必要で、ここでは小学3年生からそのことを教えている。



著者は、授業の一例として、あるグループワーク(ゲーム)を取り上げ、
それを巡る子ども達の言動を紹介している。


ゲームの判定についてプレイヤーが判定者に意見を言い、
判定者とプレイヤーがそのルールを巡って議論を始めたところ、
会話のテンポが、次第に攻撃的になってきた。


この授業では、このような状況を「いけないこと」と捉えずに、
「熱した感情のやりとりが自然発生的に起こった場面は重要だ」と捉える。

こういう実際の場面でこそ情動学習の成果があらわれ、
新しい学習内容が生徒の頭に染み込んでいくと考えている。


教師は、傍に近づき、
判定者には、「彼はあなたを非難しているわけではない」と言い、
プレイヤーには、「もう少し非難がましくない言い方であなたの考えを言ってごらんなさい」
とアドバイスする。

そして教師はやりとりを続けさせる間、
口調・ジェスチャー・視線などからも、
プレイヤーの怒りの原因が本当はどこにあるのか探る。


プレイヤーの視線が判定者の評価表にいきがちなのを見つけ、
教師は、判定者に、プレイヤーはその評価で書かれた言葉を気にしているようだと伝える。
そして、判定者に、その言葉はどういう意味で使ったのか尋ねる。

判定者がその言葉を使った理由を説明し、悪い意味で使ったのではないと、
プレイヤーに理解を求める。

そして教師は、判定者がその言葉を使って評価した状況について、
当時のプレイヤーの意図と、判定者にはその意図がわからなかったことを
説明する。

生徒たちは、互いに、相手に自分の気持を聞いてもらい、
また、理解してもらえたので、穏やかな気分になる。


これは、

「意思の疎通を欠き、勝手な推量をし、結論に飛びつき、
相手が耳を傾ける気をなくすようなきついメッセージを送りつける」ことから争いが始まる

ことを、実際の場面でも学習できたことになる。


情動の学習が困難な状況において、
殴り合いもなかったし、どちらかが席を立って一方的に放棄してしまうこともなかった。

これまでのセルフ・サイエンスの授業のおかげで、
彼らは、小学5年生にして、
感情的に相手のことを怒鳴ったりののしったりしないで、意見を主張し合えた。

大喧嘩になったかもしれない場面を、紛争解決の実習場面に転換できたといえる。

小学5年生くらいの男の子の世界では、
もっとつまらないことで、殴り合いやもっと深刻な事態になることも珍しくない。



<キレる子ども>の解明も良いけれど、このような授業を子どもにしてほしい。


情動のコントロール技術を身につけないまま大人になってしまうと、
やはり情動の制御ができない大人になってしまうから。
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by swanote | 2005-01-11 23:59 | 反応

キリスト教国の常識

まず、この記事バチカン市国が世界有数の犯罪都市である理由


バチカン市国は、ローマ市に囲まれたわずか108エーカー(0.44平方メートル)の主権都市だが、多くの犯罪者が年間1800万人の巡礼者や観光客の中に紛れて姿を消してしまう。


の部分に嬉々としてツッコミを入れるブロガーの皆さんが面白かった。

最近の世の中、暗いニュースばかりだし、
積極的に面白いことを見つけていく姿勢は見習いたい。



ところで、2000年の冬にローマに行った。

街の至るところに警官がいて、キリスト教国の記念すべき年を訪れる観光客が
なるべく犯罪にあわないよう治安維持に努めていた。


それでも怖かったので、防犯対策をいくつかした。

外出する時は、ダサくてもコートの下にカバンをかけた。(しかも斜め掛け)
お金のない学生のような格好でうろついた。


それでも、颯爽と横を通りすぎたキレイなお姉さんが、
無言で自分のポケットに手を入れてきた時は、ビビッタ。(何も入れていなくて良かった)

そして、スペイン広場近くのブランドショップから、
中央駅のホテルまで延々と追っかけてくるおじさんがいた。
(走って逃げたら走って追いかけてきた)


ローマは、キリスト教が根付いている。
キリスト教精神のなかに、「富める者は貧しい者に恵むべき」という考えがある。

これが長い年月の間に微妙に変化したのだろうか。

「富める者は貧しい者に恵むべきだ」

「恵んで当然だ」

「くれないなら盗ってもいい」

と変化して、犯罪者達の盗人魂に一層磨きがかかったのではないか?

なんか、皆堂々としていて怖かった記憶がある。


ちなみに、ジプシーと呼ばれる人達(幸い遭わなかったが)は、
大勢で観光客にたかって奪っていくらしい。

友人がローマに行ったときは、方々から子供達が集まってきて、
壁に追い詰められ、追い払おうとしても勝手に腕時計やカバンを持っていこうとした
と言っていた。
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by swanote | 2005-01-10 03:36 | 反応

とばっちり

巻き添えをくらうことを「とばっちり」というが、
この言葉を久しぶりに使った気がする。

(とばち)り」の促音化した言葉で、
傍にいて水しぶきを受ける意味から、
傍にいて禍のかかることをいう。(広辞苑)

イタリアの航空会社で客室乗務員が「機内食スト」

運行休止というストライキの常套手段も、いい迷惑だが、
その場合は、他の会社を使うという回避策がある。

機上ではどうにもならない。
この飛行機に乗ってしまったのが運の尽きだ。

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労働組合の代表の説明によると、イタリア国内線や他の欧州便で、
午前11時から午後3時の間のほとんどの機内サービスが行われなかったという。
長距離飛行のフライトではストライキは実施されなかった。

「注目を集める非常に変わったストライキの方法ですが、
アリタリア航空は乗客のみなさんに不満があると言う意味ではないのです」
----

乗る前に教えてくれていればなんとかなるけど、どうだったんだろうか。
乗ったら機内食なし、サービスも殆どなしなんて、ちょっとがっかりする。

昼時だから期待している分余計にお腹がすいて、惨めなかんじだ。
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by swanote | 2005-01-08 19:19 | 反応

強烈な言葉の独り歩き

「負け犬」という言葉は、『負け犬の遠吠え』という本のタイトルから
世間で流行した言葉だが、本の趣旨とは別に、この言葉だけが勝手なイメージを人に与えている。

新成人の早婚願望高まる 「負け犬」が反面教師?

酒井順子インタビュー(一部抜粋)
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――雑誌や新聞の「負け犬論争」のようなものを読むと、「30代以上の未婚女性を負け犬だなんて、どういうつもりだ!」「私は負けてなんかいない!」といった調子の、そもそも『負け犬の遠吠え』を読んでいるのか?という疑問を感じざるをえない意見を言う方がいます。

「そういう方はたぶん、タイトルだけ見て読んでくださってないんでしょう…。私だって結婚を望んでいるのに叶わず悩んでいると書いているのに。私こそが当事者だと言いたいです。30代以上の未婚女性が人生においても負け犬です、などと私は言っていません。ただ、30代以上の女性が結婚しないでいると、世間の人から『負け犬』と見做されてしまう世の中に生きている、ということは自覚したほうがいいのでは、と言いたいんですよ。口に出して言わずとも、負け犬と思っている人はやっぱりいるじゃないですか。だから、負けてなんかいない! と言い張っている人を見ると、痛々しい感じがする。"負け"と見做す人の視線に抗うと、向こうも躍起になっていじめてきます。それならば、負け犬ですけどそれが何か? と開き直って"負け宣言"し、お腹を見せちゃったほうがずっと楽になれると思うんです」
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ところで、
男性を選別できる能力を備えた女性の眼鏡に叶う「いい男」は少ないと言われて久しい。

その結果なのか、最近は結婚できない男性が溢れている。

そんな男達が求めるのは、「ダメ出しする女」ではなく、
ダメな自分でも全面的に尊敬してくれる女性だろう。

若い女性が結婚して欲しいと自分(の経済力)を頼り、
(年上で甘えられるからということで)尊敬してくれるなら、
そんな男達もきっと幸せになれるだろう。

ということで、独身男性は「負け犬」という言葉におびえる若い女性と
うまく結婚できるといいね。(気楽)

これは、最近の晩婚化・非婚化に対する反動なのかもしれないな。
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by swanote | 2005-01-07 19:58 | 反応

遮那王義経

NHK大河ドラマで今年は「義経」をやるから、これから義経関連の話題が多くなるのだろう。

義経が最初に戦ったのは「平家」でなく「源氏」

ところで、
今年の大河ドラマのテーマが発表される前から出版され、
2004年度に講談社漫画賞を受賞した『遮那王義経』というマンガがある。

自分は、1巻を本屋で見つけた時、その設定が新鮮で、絵も生き生きとしていて、
ストーリーも案外自然で面白かったため、試しに買ってみた。

それ以来、買い続けている。

今のところ、NHKの「義経」より
「遮那王義経」新刊のほうが楽しみだ。
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by swanote | 2005-01-07 17:44 | 反応

マイナー志向

2005年、あなたの初詣スポットは?

新年早々から人ごみで揉まれて疲れ果てるのはイヤだから、
いつも地元に愛されている小さな神社に初詣に行く。

お賽銭を投げて、手を合わせた時、
神様に色々と長々お願いする人をよく見かける。

知人の神主いわく、
お参りする時は、「ただ清々しく、神に感謝するために手を合わせるのがよい」そうです。

感謝の気持で始まる1年と、他力本願の気持で始まる1年では、
感謝から始まった方が確かに清々しい。

自分はここ数年、感謝の気持だけを込めて手を合わせるようになった。


しかし、その後に引くお御籤では、煩悩のままに「大吉大吉…」と願い、
書いてある言葉に一喜一憂してしまうが。
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by swanote | 2005-01-06 19:07 | 反応