カテゴリ:独白( 69 )

客観視

自分を鏡に映したとき、どこかしら気になる部分がある。

でも、自分はこんなものかなと妥協するところもある。

ビデオに撮られた自分を見ると、今まで知らなかった自分を客観的に見ることができる。

とても恥ずかしい。
悪いところは直そうという気になる。
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by swanote | 2004-11-16 21:00 | 独白

いいニュースを探す

悪いニュース・暗いニュース・腹が立つニュースが溢れかえっているので、
良いニュース・明るいニュース・楽しいニュースを探してみたいと思う。


む~、今日は見つからなかった。
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by swanote | 2004-11-05 14:43 | 独白

右脳で結論を出す試み

左脳で悩んだ結果、右脳で結論を出すことにした。

気持がすっきりして、とても楽しかった。


相手を大切にする・正直に好きでいるだけで、
目の前が明るくなった。

左脳からすれば、支離滅裂な無茶苦茶な結論だが、
気分は大変良い。

右脳に言わせれば、
「お前は無理に筋を通そうとして意地を張り過ぎ。もっと素直に自然体で楽しもう。」
というところだ。

一方の左脳は、これまで気が済むまで悩んで、ある程度問題を整理できた為か、
今のところ反論がない様子だ。
課題も分かったことだし、多少の成長も実感できたし、
今後、左脳もそれなりに前向きに頑張っていけるだろう。
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by swanote | 2004-11-01 01:43 | 独白

自己卑下と感謝

よく「自分なんか…」などと、自分を卑下する発言をすると、

「そんなことじゃだめだ、もっと自分に自信を持て」
「自分で自分を好きにならなければ、人が自分を好きになってくれることはない」
「そのままの自分でも充分魅力的だと思え」
「自分を受け入れることが大事」

というアドバイスをする人が多い。

でも、「自分なんかダメだ」と思っている時に、そうアドバイスされて
「そうか!よ~し、自分最高!」と、気持を切り替えることができるだろうか。
できたとしたら、それは大変脆い自信だと思う。


そもそも、
自分に自信がない時に、「まず自分に自信を持とう」とすることで、
本当に無理なくやっていけるのだろうか。



自分が自己嫌悪から浮上した時のことを考えてみる。

自分の場合は、いつも「感謝する」ことができた時に、向上心が芽生えて気持が浮上した。


例えば、試合で負けた時、
「負けたのは、自分が弱いからだ」
→「自分ってダメだ」
という思考回路ができあがる。

自分に自信がないところに「お前はダメだ」という事実を突きつけられると、
かなりどっぷり落ち込む。

しかし、しばらくして、
「相手が勝ったのは自分より勝っていたからというより、自分に課題があったからだ。」
→「相手は自分にその課題を気づかせてくれた。」
 →「むしろ感謝しなければ。」
という思考回路に修正できれば、やる気と向上心が芽生える。

このように修正された思考回路は、再利用することができる。
次に負けても、すぐに自分の課題について考えるようになるので、
自己嫌悪に陥るのを防ぐことができる。


これは、辛いことがあった時も応用できる。

例えば、「魂が磨かれた」という言葉があるが、

何か辛いことがあって「自分は傷ついた」と思っても、
それを糧にして人生を前向きに切り開くことができれば、
「魂が磨かれた」ということになる。

そのきっかけを作ってくれた(糧を与えてくれた)出来事・人には、
むしろ感謝することができる。

すると、不思議なことに
これまで恨んだり悔やんだりしていた気持がすっと消える。


つまり、「感謝」できることが、
沈んだ気持を浮上させるきっかけとなり、
そこから生まれた向上心や前向きな生き方が
より良い実績を作って、
その上でやっと自分に自信が持てるようになるのだと思う。

だから、自分に自信がない時は、
小さくてもいいから「感謝」してみることが、前に1歩踏み出すきっかけになると思う。
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by swanote | 2004-10-30 22:19 | 独白

頑張ってね と 頑張ったね

「頑張ってね」と言う機会はあっても、
「頑張ったね」と言う機会はあまりないように思う。

成功したら、「おめでとう」とか「よかったね」が一般的だからだろうか。


これから挑戦する時、「頑張ってね」と言われると、
応援してくれる人がいる嬉しさの一方で、
期待されているというプレッシャーを感じる。
時には、他人事として扱われている気もする。

挑戦が終わった時に、「頑張ったね」と言われたら、
頑張る自分の姿を見守っていてくれた人がいた嬉しさと、
自分の頑張りによって成功できたということを理解してもらった嬉しさを感じる。

成功できなかった場合でも、それまでの健闘を称えてもらったと感じる。


さらに、「頑張ったね」と言われた人が近くにいると、
周囲の人も、相手に対する認識を変える気がする。

例えば、
以前、国内線で2時間程度のフライトをしていた時、
着陸の少し前になって1歳くらいの赤ちゃんが泣き始めたことがある。

最初は、母親があやしても泣き止まないことに、
周囲の大人達は冷たい視線を投げかけていた。

しかし、その母親が赤ちゃんに
「よく頑張ったねー。えらいえらい。もうすぐだからね。」と話しかけた途端、
周りの雰囲気が穏やかなものに変わった。

1才児にとって2時間の移動は辛いものであり、
それに彼はよく耐えていたのだということを、周囲が理解したと感じた。

少なくとも、自分の心の中には、「そうだ、小さい体でよく頑張った。」という思いが芽生えた。


「頑張ったね」は、本来、相手を理解し応援し続けた人だけが使える言葉だと思う。
そうでない人が社交儀礼として相手に言うと、白々しい感じがする。
それ故に、誰にでも言う「頑張ってね」より使える範囲が狭まるが、あたたかい言葉だ。

自分もこの言葉を人に贈れるように、人から贈られるようになりたい。
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by swanote | 2004-10-21 02:23 | 独白

右脳で感じた恋を言葉にする試み

そもそも好き・嫌いという感情は、右脳が感じていること。

それなのに、

最近、メールが1日に何回しかこない とか
メールしたのに返事が来ない とか
私の話を聞いてくれない とか
こいつはダメ男・女かも とか
今後のことを考えるとお互いの為にならないから、別れたほうが良いのかも とか

思いっきり左脳で悩む現代人の恋愛。
右脳が初めに「好きだなあ!」と思ったのに、左脳が必死に否定する。

左脳が悲観的態度で右脳を説得するので、
だんだん辛い気持ちになってくる。


単純にそう考えると、
振られたから、もう好きじゃいけないんだ。(by左脳)
もう顔を合わせるのも辛い。(by右脳)
というのは、左脳の罠かも。

きっと、まだ好きでいても良いんだな。

ちょっと気分が楽になった。
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by swanote | 2004-10-14 18:52 | 独白

立場上のつきあい

振られた人と人間関係を継続していかねばならないのはけっこう辛い。
きっと、お互い辛いんだろう。

相手は、罪悪感とかから早く解放されたいから、
なるべく早く互いが疎遠になることを望んでいるだろう。

こちらも相手に今もなお負担をかけている心苦しさに悩まされる。

消えてしまいたい。
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by swanote | 2004-10-12 23:35 | 独白

気合の入れ時

最近、
夜になってから、「頑張るぞ!」と思ってみたり、
張り切って運動やストレッチをしてしまうと、
体温が上昇して、眠れなくなる。

気合の入れ時は朝に限る。
明日は早く起きるぞ。(って、気合を入れてしまう今は夜…)
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by swanote | 2004-10-10 23:59 | 独白

大画面の効果

液晶・薄型・大画面
これが次世代のテレビとして定着しつつある。

家の中でどんどんテレビの存在がでかくなる。

映画とか、大画面の方が臨場感や迫力があるのは分かる。

ただ、
日常生活のなかで、刺激が大きすぎやしないか?
洗脳されちゃいそうだ。
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by swanote | 2004-10-09 01:38 | 独白

偶然という存在

「偶然が3回以上おこれば、それは運命」
という言葉を聞いたことがある。

あの人との出会いについて考える。

初めて会う前に、偶然、その人のホームページを見ていた。
自分が一大決心をした早朝の時刻に、偶然、その人も目が覚めた。
偶然、共通の知り合いに紹介された。
偶然、手相が似ていた。
偶然、家族関係が似ていた。

…だから何だというんだ。


偶然を「神のお導き」と解釈する人もいる。
そもそも、偶然という存在こそが神だと解釈する人もいる。

偶然の出来事を運命だと感じた時、
それは自分にとって特別な意味を持つ。
神の存在だって信じられるのかもしれない。

ただ、大切なことは、神との邂逅に単に感動することではなく、
それを自分がどのように解釈して、どのように行動し、結果的に満足するかだ。

満足感は、行動した時に得られるかもしれないし、
その後、とっくに忘れた頃、幸運というかたちで得られるのかもしれない。
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by swanote | 2004-10-03 00:18 | 独白