頑張ってね と 頑張ったね

「頑張ってね」と言う機会はあっても、
「頑張ったね」と言う機会はあまりないように思う。

成功したら、「おめでとう」とか「よかったね」が一般的だからだろうか。


これから挑戦する時、「頑張ってね」と言われると、
応援してくれる人がいる嬉しさの一方で、
期待されているというプレッシャーを感じる。
時には、他人事として扱われている気もする。

挑戦が終わった時に、「頑張ったね」と言われたら、
頑張る自分の姿を見守っていてくれた人がいた嬉しさと、
自分の頑張りによって成功できたということを理解してもらった嬉しさを感じる。

成功できなかった場合でも、それまでの健闘を称えてもらったと感じる。


さらに、「頑張ったね」と言われた人が近くにいると、
周囲の人も、相手に対する認識を変える気がする。

例えば、
以前、国内線で2時間程度のフライトをしていた時、
着陸の少し前になって1歳くらいの赤ちゃんが泣き始めたことがある。

最初は、母親があやしても泣き止まないことに、
周囲の大人達は冷たい視線を投げかけていた。

しかし、その母親が赤ちゃんに
「よく頑張ったねー。えらいえらい。もうすぐだからね。」と話しかけた途端、
周りの雰囲気が穏やかなものに変わった。

1才児にとって2時間の移動は辛いものであり、
それに彼はよく耐えていたのだということを、周囲が理解したと感じた。

少なくとも、自分の心の中には、「そうだ、小さい体でよく頑張った。」という思いが芽生えた。


「頑張ったね」は、本来、相手を理解し応援し続けた人だけが使える言葉だと思う。
そうでない人が社交儀礼として相手に言うと、白々しい感じがする。
それ故に、誰にでも言う「頑張ってね」より使える範囲が狭まるが、あたたかい言葉だ。

自分もこの言葉を人に贈れるように、人から贈られるようになりたい。
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by swanote | 2004-10-21 02:23 | 独白
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