最近の日本の子どもは、論述形式の問題が苦手らしい。
自分も日本人なのでよく分かる。 自分の場合は、あまりにもどうでも良いことを尋ねるので、答えに窮するのだ。 例えば、 「あなたの学校について紹介してください」 という中学生向けの英作文問題がある。 これが苦手な問題の一例として取り上げられていた。 問題制作者は、妥当な問題なのになぜ苦手なんだ!と思ったことだろう。 学校に毎日通っているわけだし。 しかし、誰に向かって紹介するのかが問題なのだ。 それによって、答える内容が変わってくることに気づいていない。 アナタノガッコウニツイテオシエテクダサーイ! と日本を知らないアメリカ人に聞かれたのなら、 日本の学校は4月から始まることや、 3学期制であることや、 授業中に飲食は禁止であることや、 制服があることなど、 相手の学校との違いを説明することができる。 説明して分かってもらおうという意欲もわく。 別の中学の友人に聞かれたのなら、 制服がダサクて嫌だとか、 校則が厳しいとか、 学校が家から遠いのにチャリ禁止で辛いとか、 バスケ部が強いとか、 変な先生がいるとか説明できる。 このように説明を求めるなどコミュニケーションを想定した問題の場合、 インフォメーションギャップを生かした問題作りをしたほうが良いと思う。 そのような想定がない状態では、学校の英語教師を答える相手にするしか 思いつかないが、同じ学校の先生に説明する気など起こるわけがない。 先生も学校について知っているから。 英作文の回答としては、ごく当たり前のことでもいいわけだが、 説明するというコミュニケーション行動の中で、 学校は4階建てのビルですとか、生徒は1000人いますとか、 聞いている人にも「当たり前」のことを答えるのは苦痛なのだ。
by swanote
| 2005-03-16 00:32
| 独白
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